息について
息。
普段意識することもなく自然に行っている行為ですが、その文字を見れば分かるとおり、それは自らの心です。
上江洲先生に教えていただいたことは、
万物はその本質において神、愛、命そのものであり、吸う息は神。吐く息も神。
ということ。
でも周りを見れば、吸う息は神でも、吐く息が怒り、憎しみ、嫉みなど。
なぜそうなのか?
本質を知らないから。
偽りの自分を信じ、従っているから。
吐き出された負の意識は、気づかれないかもですが、いろいろな悪影響を及ぼすんではないかと思います。
小さなことでいえば、足をぶつける。転ぶ。料理中に手を切るなど。
溜まり溜まれば、大きな災害ともなるでしょう。
そういえば、以前ある指導者の下で、瞑想での呼吸法を教わっていたとき、
「まず、息をゆっくり吐き出します。
自分の中の、黒いもの、悪いものが出て行くイメージで。。。。」
ということを教わった気がします。
当時は分からなかったですが、これって??
世に負のエネルギーをまき散らしているようなものでは?
それが正しいやり方でしょうか?
すべての本質が神であり、愛であり、命そのものであるならば、何者にも影響されず、自分の中の負のエネルギーのみならず、吸い込んだ負のエネルギーさえ愛に変えられるはず。
万物の霊長と言われた人類こそ、しっかりと本質を受け入れ、愛を顕現するものとなっていかないといけないんだろうと思います。
普段意識することもなく自然に行っている行為ですが、その文字を見れば分かるとおり、それは自らの心です。
上江洲先生に教えていただいたことは、
万物はその本質において神、愛、命そのものであり、吸う息は神。吐く息も神。
ということ。
でも周りを見れば、吸う息は神でも、吐く息が怒り、憎しみ、嫉みなど。
なぜそうなのか?
本質を知らないから。
偽りの自分を信じ、従っているから。
吐き出された負の意識は、気づかれないかもですが、いろいろな悪影響を及ぼすんではないかと思います。
小さなことでいえば、足をぶつける。転ぶ。料理中に手を切るなど。
溜まり溜まれば、大きな災害ともなるでしょう。
そういえば、以前ある指導者の下で、瞑想での呼吸法を教わっていたとき、
「まず、息をゆっくり吐き出します。
自分の中の、黒いもの、悪いものが出て行くイメージで。。。。」
ということを教わった気がします。
当時は分からなかったですが、これって??
世に負のエネルギーをまき散らしているようなものでは?
それが正しいやり方でしょうか?
すべての本質が神であり、愛であり、命そのものであるならば、何者にも影響されず、自分の中の負のエネルギーのみならず、吸い込んだ負のエネルギーさえ愛に変えられるはず。
万物の霊長と言われた人類こそ、しっかりと本質を受け入れ、愛を顕現するものとなっていかないといけないんだろうと思います。
スポンサーサイト
テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体